日本語教室inネパール

 

吉川節子さんの場合先生同士で楽しい夕食を

 今年、2001年3月21日に学校は創立5周年を迎えました。1997年に開校した時の学生数は50名足らず、現在は120名余りの学生が在籍しています。開校当時、キラン校長は医療技師、サントスさんも教室を提供してくれていた医療専門学校の職員でした。その年、一期生として日本に送り出した学生達はYMCA卒業後、日本の大学に進み里帰りした時は、流暢な大阪弁で私達を笑わせてくれました。学校は校長キランさんの地道な努力、『やさしさ』、そして、『ネットワークhito』の皆さん、プール学院学生達の経済的精神的な援助によってここまでやってこれました。それから、忘れてならないのは我が校の学生達、自分達の学校という母校精神でもって学校を支えてくれています。
 個人的なことで恐縮ですが、私自身のネパール滞在は、この学校の歩みと二重写しになります。思えば学校もネパールも変わりました。ネパールの通信事情が良くなり、1999年、学校に電話が付き、翌年にはコンピューターを購入してE−メイル、インターネットが使えるようになりました。これは学校にとって画期的なことでした。そして、皆さん御存じの『石楠花通信』。元野球少年、惟任先生のヒットのおかげで日本とネパールの距離が随分縮められたように思います。ここ2年のネパールの急速な変化という時代の流れが学校には有利に働いています。去年よりネパールでも日本語能力試験が実施され、日本語は中等教育の選択科目として取り入れられる事が検討されています。また、JALTAN(ネパール日本語教師協会)への加盟によって、日本国際交流基金が主催する日本語を学ぶネパール人学生のための日本招聘試験の案内が届き、それに合格した我が校のサチンさんは、この6月、日本での2週間の語学研修に出発します。このサチンさん、ビジュリ・バザール時代からの学生です。
 2001年6月1日(金)、王室内で起きた不幸な出来事は、ネパールのこれからを思うと誰もが一抹の不安を感じる事件でした。しかし、学校は健在です。私達は学生達とともにネパールを見守りたいと思います。皆さん、今後ともよろしく御支援のほどお願い致します。                            
  吉川 節子


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