日本語教室inネパール

宮田はるかさんの場合

 私は、去年の春にプール学院大学短期大学を卒業して、その秋から三ヶ月間ネパールで日本語教師として生活してきました。
 私とネパールとの出会いは、短大時代に学校から毎年行われている海外研修がきっかけでした。その時のただ楽しくてネパールが好きだという気持ちだけで、ネパールの日本語学校に行くことを決めました。
 でも私は日本語を教えるという専門的な知識もないし、また海外で知らない人達と生活するということなど、全く先が見えず、行く前は不安と恐怖でいっぱいでした。だからといって動かないと何も始まらないし、そこにあるかもしれない新しい可能性を逃したくないと決め、恐い気持ちを持ちながらも進んでみました。
 ネパールでの生活は思っていた以上に大変でした。なんとかなると考えていた日本語の授業は、とんでもなく難しく、毎日失敗の連続でした。自分の力のなさやどうにも出来ない辛い気持ち、また学生やまわりの先生方に迷惑をかけているという申し訳なさでいっぱいでした。そんなめちゃくちゃな失敗をしても、それでも次の日が来て、その日のやらないといけない事があり、目の前の事を一つずつ一つずつ乗り越えて行くという事しか出来ませんでした。どんな失敗をしても、その先があるという事は私にとって救いでした。
 今回私がネパールで学んだ事はたくさんあったと思います。辛い事があるから楽しい事が楽しくて、本当にやりたいと願えば必ず魔法のようにその人に不思議な出会い、偶然があるという事も感じました。私自身実際にそういう不思議な事がたくさんありました。たくさんの人達に支えられて、私がその人達を大好きになれた事が、幸せでした。
 私はこれからも恐くても、進んで行こうと思います。進んだのだから広がるのだなあと本当に実感する旅でした。



戻る

トップへ

サイトマップ